2017年4月1日土曜日

盗む

   盗む

街道沿の畑の中で
葉鶏頭を盗もうと思つた
葉鶏頭はたやすくもへし折られた
ぽきりとまこと気持のいゝ音とともに
――そしてしづかな貞淑な秋の陽がみちでゐた
盗人奴! とどなるものもない
ぼくはむしろその声が聞きたかつたのだ
もしそのとき誰かが叫んでくれたら
ぼくはどんなに滑稽に愉快に
頭に葉鶏頭をふりかざして
晩秋の一条街道をかけ出すことが出来ただろう
しかしあまりたやすく平凡に暢気に
当然すぎる位つまらなく盗んだ葉鶏頭を
ぼくはいま無雑作に
この橋の上からなげすてるだらう。


「盗む」は、1926(大正15)年11月3日に太平洋詩人協会から発行された小野十三郎の第1詩集『半分開いた窓』に収められています。

「葉鶏頭」は、熱帯アジア原産のユリ科の植物で、春にタネをまくと晩秋には枯れてしまう一年草です。花を観賞するケイトウに対し、葉を観賞するケイトウという意味が名前に込められています。

ふつう春にタネをまいて育てます。大型の草花で、大きなものは2メートル近くになります。初めは緑色の葉を出し、夏ごろ茎の頂点から黄色と赤に色づいた葉を出します。

秋の低温で、葉色はさらに深く、鮮やかになって見ごろを迎えます。この詩は、ちょうどそのころの葉鶏頭を描いているのでしょう。しかし、熱帯性の植物なので耐寒性は劣り、霜が降りるころには枯れてしまいます。

日本には、大むかしに中国経由で入ってきました。中国では、雁が渡ってくる秋に見ごろを迎えることから「雁来紅」と呼ばれます。中国語読みでは「イエンライホン」というそうです。

「ぼく」は葉鶏頭を盗もうとおもう。犯罪ともいえないたわいもない行為ではあるが、盗もうとおもいさだめて、盗む。だが、「ぼく」の期待に反して誰もどならない。誰も追いかけてこない。期待が満たされないとき、行為はとたんにつまらないものとなる。盗んだ葉鶏頭は無雑作に投げすてられる。《安水稔和の注》

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