2017年4月13日木曜日

ゆれる

   ゆれる

近くにある瓦屋根をみてゐたら
屋根の向側に
むらむらむらむらと樹葉が沸いてあがつた
べたべた青光る樹葉があらわれた
ばつさ、ばつさ、ゆれはじめた
ばつさ、ばつさ、ばつさ、ばつさ
春の木が枝が梢がゆれはじめた


「樹葉」すなわち樹木の葉は、機能的には葉は光合成のための器官です。扁平で広く、葉脈が枝分かれして張り巡らされているのは、太陽の光を効率よく吸収し、ガス交換することができるための適応と考えられています。

太陽光を効率よく浴びるためには、葉っぱと葉っぱが重なって影になるようなことがなるべく無いほうがいいでしょう。そのため、葉っぱは一定の法則性をもって生えているようです。

0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144,……と、どの項もその直前の2つの項の和になっているのをフィボナッチ数列といいます。葉のつき方は、美しさの定番である黄金比にもかかわるこの数列と関連しているのです。

このように、まわりの環境との臨界点に位置する「生命」である樹葉が、「むらむらむらむらと」沸き上がって「ばつさ、ばつさ、ゆれ」ているのです。

*ここには萩原朔太郎とは違った客体化された感情がある。おかしなことだが、私はこの詩を読む時、小野が萩原恭次郎に初めて会った日の椎の木の若葉を連想する。小野の回想記もそしてこの作品も、激しいやさしさが溢れているように私にはおもわれる。《安》

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