2017年4月2日日曜日

街道にて

   街道にて

田舎の街道を行つたときに
ぼくは電柱を数えてゐた
一本でも数え損ねないやうにと
おちつかない散歩をつづけてゐつた
そして二里ばかりきたときに
そんなにはつきりとしていた総計が
ふいと頭脳から消えて失つた
しかし電柱はずーとはるかに
街道に添ふて地平線にうすくつづいてゐた
ぼくは無気味な電柱の誘惑に圧倒されて
ついに苦しくなつた
そして田舎の悪臭に一層ものうくされたとき
すこしでも郊外にあこがれて出てきたぼくがなさけなかつた
遠い畑のはてで
玩具の電車が動いた。


現在のような、耐久性や耐火性に優れたコンクリート製の電柱が普及するようになったのは、昭和に入ってから。この詩が作られた大正末までは木製のものが多く、電柱材用のボカスギが富山県などで盛んに栽培されました。

NTTの資料によれば、電信の供用は1869年、東京・横浜間でが始まりました。1875年には札幌まで開通。これで北海道から東京を経て、九州までつながる電信網ができあがった。1880年頃には、日本の大都市を結ぶ電信網が完成しました。

このころの電信電話には多重通信の技術はほとんどなかったため、1回線につき1本の通信線が必要でした。 そのため1本の電信電話柱に数十本の架線がなされていたそうです。

「ぼく」は電柱を数えながら歩いている。その数えるという行為もまたとるにたらぬ行為であって、歩きながらの気まぐれといってもいいはずだが、「ぼく」にとってはかならずしもとるにたらぬ行為ではない。だから、数えつづけたてきた電柱の数がどうしたことかふいに頭から消えたとき、田舎の悪臭が「ぼく」をものうくとりかこむ。《安》

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