2017年4月22日土曜日

留守

   留守

久しぶりにたづねていつたが友はゐなかつた
置手紙でもしやうと思つて裏口からあがつてみた
そこら中新聞や古雑誌が散乱しチヤブ台の上にも電気の傘にもホコリが分厚くつもつてゐた
かたへの壁には砕けたポスターがはつてある
それは昨年の夏太平洋のかなたから日本の同志のもとへ送つてきたあのサツコとヴアンゼツチのための一枚であつた
かれらはもうゐない
雨水か何かがじみこんだのであらう、活字の赤インキが全面に散つてそれが血痕のやうにどす黒くにぢんでゐた


「サツコとヴアンゼツチ」とは、サッコ・ヴァンゼッティ事件の2人。1920年代のアメリカの殺人事件裁判で、政治的でっち上げといわれています。

1920年4月、ボストン市郊外の靴工場を数名の強盗が襲い、2人を殺し大金を奪いました。3週間後、イタリア移民で靴工のニコラ・サッコ(Nicola Sacco、1891-1927)=写真右=と魚行商人のバルトロメオ・ヴァンゼッティ(Bartolomeo Vanzetti、1888-1927)==がまず別件で逮捕され、この事件の犯人とされました。

2人とも無政府主義者、徴兵拒否者で、拳銃を持っていました。またこのころ、司法長官パーマーの赤狩りなど左翼は弾圧され、移民制限が叫ばれていました。翌年5月に裁判が始まり、証言のみで物証不十分のまま、7月に有罪とされます。

それは政治信条を超えた多数の人の抗議を呼び起こし、何度か控訴、再審が請求され、さらに25年、自供者が現れたが認められませんでした。米国内外で有名人も参加する釈放運動が高まり、執行責任者の知事は委員会に諮りましたが、誤審なしとされ、2人は27年8月、電気椅子に送られました。

この事件はその後も長く論じられ、1959年にはボストン司法委員会は再審請求を取り上げ、無罪を証しました。しかし、61年の条痕検査ではサッコの拳銃が犯罪に用いられたとされ、彼を有罪とみる見方もあり、今日まで見解は分かれています。

*1920年アメリカで強盗殺人容疑でイタリヤ移民・無政府主義者であるニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッチが逮捕された。無政府主義・共産主義の弾圧のための逮捕といわれ、世界的に無罪釈放運動が行われた。2人は1927年死刑になった。伊藤新吉はこの作品について次のように述べている。
「まるで空屋のような家の模様をスケッチした作品のようにみえるが、おそらく作者の意図はそこにはない。この乱雑な家からうける荒涼感をひっかかりにして、作者はサッコとヴァンゼッチのこと――それによって触発される階級的連帯感について語ろうとしたのである。それによって2人のイタリア人の死刑をめぐる国際的な抗議運動が、自分の中に生きてあることをいおうとしたのである」。伊藤はまた小野の手法に言及して次のように述べている。
「作者は“自分の中にある”サッコ、ヴァンゼッチ事件を突きはなしてみており、それと同時にこの家がルスなのは、なにかの“事件”があったためかもしれぬことを、その荒涼感をとおして暗示した。それ以上の主観や感想はひとことも語ろうとしないし、その表現手法はリアリスティックといえぬまでも客観的である。この客観的態度――主題をちらっとのぞかせる手法は、はやくから小野十三郎の表現手法の特徴をなしていて、それがプロレタリア系の詩人としてめずらしいのだが、その一方もどかしさを感じさせる」。
「もどかいい」という評言は伊藤の感じ方であって、「もどかしい」かもしれないが、伊藤自身的確に指摘したように、サッコ、ヴァンゼッチ事件への連帯感と、友や自分を取り巻く現実の事件への抵抗とを正確に結びつけるための小野の手法の有効性は明らかである。《安》

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