2017年4月24日月曜日

軍馬への慰問

   軍馬への慰問

室町ノ
三井ノ
玄関口デ
白ダスキヲカケタ
四十ガラミノ
反動ノ髭ヅラガ
メガホンヲ口ニ
熱誠溢ルゝバカリノ名調子デ
三越帰リノ淑女タチニ
呼ビカケテヰタ

寒風吹きすさぶ 満蒙の野に わが将卒とともに戦へる 勇敢なる軍馬のために みなさまの御同情を 切に お願ひいたしまあーす…………

馬ヨ、十一月ノ宇品ノ港デ 宙ニブラ下ツテヰル馬ヨ アバラヲフルワセテ嘶ケ!


この詩が入っている第2詩集『古き世界の上に』は、昭和9年4月、解放文化聯盟出版部から発行されています。この年の3月には、満州国で帝政が実施され、執政溥儀が皇帝となっています。

「軍馬」は、戦闘時の騎乗などができるように特別な訓練を受けた軍用の馬のことをいいます。明治政府は軍馬の飼育生産でも西欧の技術を取り入れ、法整備を進めました。
1906(明治39)年には、勅令で内閣馬政局が設置。
1922(大正10)年には、馬籍法の公布によって、飼育されるすべての馬は「馬籍」に登録する義務が課せられる。
1924(大正12)年には、軍馬の改良と増殖のため「競馬法」を制定。
1932(昭和7年)年には、日本人の体形に合わせた多目的軍馬、日本釧路種が開発されています。

「宇品(うじな)」は広島市南区にある港湾地区。明治初期に県令千田貞暁によって宇品港築港が計画され、皆実新開と宇品島との間に堤防をつくるなどの工事に着手、1889(明治22)年に完成しました。日清戦争が始まると、広島は一大兵站基地となり、以後重要な軍用港として発展しました。文部省唱歌『港』は宇品港を歌ったものといわれます。

*昭和6年9月満州事変が始まり、日本は以後15年間戦争にあけくれした。ここには反戦の意志が、ややギコチなくはあるが、宙にぶら下っている馬に形象化されている。ギコチナサは多分、その風刺的姿勢から生じているとおもわれる。

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