2017年4月3日月曜日

白昼

   白昼

青空に風船がただよふてゐた
それを知つてゐるのはぼくだけだ
誰ひとり気のつくものはない
通りがかりの人をつかまえて
空を指しても
見えないよとどなつて相手にもならない
高い樹の間の空に
ちつぴりさつきの風船が見えてゐる
赤い風船が浮いてゐる
皆んなはほんたうに見えないのか
馬鹿野郎! どちらだ。


Wikipediaによれば、「風船」は、1905年、日露戦争の終結後の戦勝祝いでゴム風船が使われたのがきっかけで、玩具として一般に普及するようになります。同年11月には大阪市外に伊藤護謨風船工場ができ、ドイツ製ゴム風船をもとにした国産のゴム風船が製造されるようになりました。

1907年には、無地のゴム風船に文字や絵を彩色する名入りの方法を東京・渋谷の金子佐一郎(金子護謨風船工場)が発明。

1910年9月8日には山田猪三郎により、逆三角形の形状をした国産飛行船が初飛行しています。

大正期以降には俳句の春の季語として「ゴム風船」が登場するようになりました。

この詩の「風船」とはなんなのでしょう。「ぼくだけ」が知っている「秘密」なのか。それとも、「誰ひとり気のつくものはない」ことに対して、「見えないのか」「馬鹿野郎!」と苛立ってくるような「真実」でしょうか。

「ぼく」は青空の風船を追う。風船の存在を知っているのは「ぼく」だけであって、風船は本当は存在しないのかもしれない。風船は実際に存在しているのだが、ただの風船なのかもしれない。人々は見ても全く気にとめないのかもしれない。だが「ぼく」は風船が重大事かもしれないとおもう。いや、重大事だぞとおもう。このおもうということがこの作品を書かせたといっていいだろう。《安》

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