2017年4月14日金曜日

機関車に

   機関車に

その下にあるものの血を沸きたゝせ
それにたち向ふものの眼を射すくめる俺たちの仲間
機関車は休息のうちにあつていさゝかも緊張の度をゆるめず
夜ふけて炭水車に水を汲み入れ 石炭を搭載し
懐中電灯もて組織のすみずみを照明し
浮いたねぢの頭をしめ ピストンに油をそゝぎ
つねに巨大なる八つの大働輪を鋼鉄の路において明日の用意を怠らず
前燈を消して
ひとり夜の中にある


「機関車」は、客車、貨車などを牽引するための鉄道車両で、自走できる原動機を備え、旅客、貨物などを積載する設備をもたないものをいいます。原動機の種類によって、蒸気機関車、電気機関車、ディーゼル機関車などがあります。

日本の蒸気機関車は、1872(明治5)年の新橋と横浜間の開業に先だって、鉄道の技術とともにイギリスから輸入したタンク機関車10両に始まります。電気機関車の始まりは、1912(明治45)年に信越線の横川―軽井沢間の碓氷峠用のアプト式鉄道区間に採用したもので、ドイツから輸入した小型の10000形だそうです。

*小野には機関車にたいする好みが強くあり、『重油富士』の「不時停車」をはじめとしてたくさんの作品がある。戦後、能登秀夫の手びきで安西冬衛・竹中郁とあこがれの機関車D57に乗ったときのことを書いた一文が『多頭の蛇』(日本未来派発行所)にある。

 この作品を中野重治の「機関車」「きくわん車」と比べてみると面白い。中野が「輝く軌道の上を全き統制のうちに驀進するもの」「ま夜なかでもはしるきくわん車/大切なきくわん車」と動的、意味的に捕えているのに対して、小野が「前燈を消して/ひとり夜の中にある」と静的、事物的に捕えている。動を含んだ静を好む小野らしい結句である。中野にしても小野にしても戦いの中心に立つ「部分であって全体であるもの」を歌っていることに変りはない。《安》

0 件のコメント:

コメントを投稿