2017年4月8日土曜日

情人

   情人

夕暮 その辺には朱い蘆が簇生してゐた
河岸の草径に
ぼくはゐた
もう話もなくなつてしまつた接吻もし飽きた女の身体をぎこちなくひつぱり歩いてゐた
二人ともおそろしく鈍感だつた
欠伸は出ても何も話さなかつた
口笛が頓狂に鳴つてすぐやんだ
長い径だつた
女は犬のやうにうなだれてついてきた
嘘つつき!
とも叫ばなかつた
だから噛みつきもしなかつたのだ
女はただ疲れた顔をしてゐたきりだ
二人ともおそろしく鈍感だつた
それでもぼくたちはも一度接吻した
なんのためだかわからなかつた
ずいぶん変なかつこうだ
それからお互に他方を向ひて歩いた
河がだんだん遠くなつた
ぼくはたうたう笑つてゐた
ぼくの眼には朱い蘆が簇生してゐた。


ここにも「蘆」が出てきます。「或恐怖」では「赤い蘆」でしたが、情人と二人でいるここには「朱い蘆」が簇生しています。

「簇生(そうせい)」は、草木などが、群がってはえること。ヨシは水辺で最も大きい草本植物。1㎡あたり1kg程度と森林とあまり変わらない重さをもち、光合成による酸素の生成を行っています。

ヨシ原では、土中・水中から多くのチッソやリンを吸い上げて大きく成長するため、水中の富栄養化によるアオコの発生などを抑える水質浄化作用があります。

また、地下にネット状の地下茎を張り巡らせるため、土壌を強化し波風や水圧による河川敷の侵食を防ぐ働きもするそうです。

ヨシ原は、「話もなくなつてしまつた接吻もし飽きた」「おそろしく鈍感」な二人を囲み、支えるのにもってこいの場を提供しているようにも思われます。

*青春の情熱と倦怠が基調。おそろしく鈍感になっている恋人たちを「その辺には朱い蘆が簇生してゐた」という第一行目と「ぼくの眼には朱い蘆が簇生してゐた」という最終行とがはさみこんでいるのだ。恋人たちの姿態をたくみに書きこんでいるが、この作品の意図はむしろ第一行から最終行へのこの移行にある。《安》

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