2017年4月9日日曜日

   蘆

君はあの蘆を見たことがあるか
君はおそらく見たこがないであらう
蘆といふやつは
河をへめぐるヴガボンド
黄色ろくつて、黒くつて
鋭く、長く
静かに簇生してゐるが
風が吹くと
閃めいて 鳴つて
響き渡つて
僕の女を凌辱して気狂にして
又、つ、つ、つ、と生えてゐるやつだ
この蘆を見たことがあるか


「ヴガボンド」は、「vagabond」。放浪者、無宿人といった意味です。古来、遊牧民は生活のために放浪を繰り返してきたし、若者たちはしばしば人生の意味を求めて放浪を重ねます。

パスカルは『パンセ』の中に、有名な「人間は考える蘆である」とい言葉を残しています。人間はひ弱な一本の蘆にすぎないが、思考することのできる蘆なのだ、というのです。

ここでは「蘆といふやつは/河をへめぐるヴガボンド」といっています。「へめぐる(経巡る)」は、あちこちをまわって歩くこと。「蘆」は、川辺をめぐる放浪者だというのです。

「静かに簇生してゐるが/風が吹くと/閃めいて 鳴つて/響き渡」る。そして「僕の女を凌辱して気狂にして/又、つ、つ、つ、と生えてゐる」のです。

『万葉集』に「海原のゆたけき見つつ葦が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ」というの大伴家持の歌があります。家持は、難波で防人の検校に関わり、防人たちとの出会いをしています。

万葉の時代には、大阪湾が内陸までのびて湿地帯が広がり、蘆が群落を作っていました。海原のゆたかな風景を見ながら、ああ、この地で何年も過ごしてしまいそうだ、過ごしたいものだ、というのです。「葦」には、各地から集まってくる防人と重なるところもあったのかもしれません。

*その凝縮性と能動性のゆえにきわだってすぐれた作品となっている。この作品の意図は前二作を読んできた読者には自明であろう。「或恐怖」においてはいわば熱病のごとき妄想をとってあらわれ、「情人」においては鈍感で疲れきった「ぼく」の感覚を通して捕えられていた朱い蘆が、この作品においては蘆自体としてあらわれるもの。その困難な作業を、小野はこの作品で「僕の女を凌辱して気狂にして」という見事な一行で、やっとなしとげている。極言すれば「ぼくの女を」の「を」にかかっていたとさえいえよう。《安》

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