2017年5月11日木曜日

硫酸の甕

   硫酸の甕

夕暮。
だれもゐない
道路のまん中で
七厘の火がおきてゐる。
上に豆炭を三つほどのつけて
骸炭の炎がかつかつとおきてゐる。
馬は首を垂れて黙々とまぐさを喰べてゐる。
長い汚い鬣が地にずつてゐる。

工場裏の塀ぎはに、
夥しい鉛室硫酸の空甕(かめ)が列んでゐる。

硫酸の甕は羨むべきかな


明治中頃から昭和30年代まで、硫酸瓶に代表される耐酸瓶を盛んに生産されました。なかでも有名なのが、山口県の小野田です。

明治22(1889)年、日本舎密製造会社(現日産化学工業小野田工場)が創業を開始すると、耐酸性の強いこの地の粘土を使った硫酸瓶の生産も開始され、硫酸の生産量が増えるにともない製陶業も飛躍的に発展しました。

昭和24年には26工場を数え、30数基の煙突が林立していたそうです。小野田には、近代化遺産に指定されているという、硫酸瓶を積み上げた硫酸瓶垣があります。

「鬣」(たてがみ)は、動物(特に哺乳類)の頸部や頭部に密集して生える長い毛のことですが、日本列島の在来種にたてがみを持つ動物が見当たらないことから、日本人にとってのたてがみは馬の伝来によって始まったようです。

*道路のまん中に七輪をおいて骸炭の火をおこしている路地裏の貧しいくらしの人たちの姿と、附近の大工場の塀ぎわに積み重ねられてある用を終えた硫酸の空甕とのコントラストに訴えを持たせたと小野は述べている。「硫酸の甕は羨むべきかな」の一行は反語であるが、単に論理上の反語ではない。「荒れれば荒れるほどいい」という一行と同質の意志をはらんだものである。このような意志的反語が多発されることで、小野のいわゆる風景詩はやがて変容する。

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