2017年5月17日水曜日

渺かに遠く

   渺かに遠く

渺(はる)かに遠く
それは対岸に煙っている
誰もまだあすこに到達したものはない。
暗い海と 枯れた葦原の
あすこにゆかう。
私は長生きして
きつとあすこにゆきつくつもりだ。
川に沿うて緑色のガソリンカーがはしつてゐる。
煤ぼけの市内電車は
毎朝定刻に夥しい人間どもをあすこに吐き出す。
けれどもあの人たちが完全に
あすこに到達したとは
私は思へない。
私はどうしても思へないのだ。

私はこんな夢を見た。
それは夜中のやうでもあり真昼間のやうでもある。
私は白い大きな落下傘で
遂にその茫寞たる葦のそよぎの中に降りてゐた。
私は夢の中でふしぎな安堵をおぼえ、おーいと声をあげたかつた。
そこはどこか住友伸銅あたりの風景に似てゐたが
なんだか変なところもある。
けつきよくどこだかわからない。
いやにしづかな息づまる世界だつた。


1880年代から1890年代、大阪にいくつもの銅加工会社が設立されました。住友別子銅山の元支配人だった広瀬坦によって1895(明治28)年、大阪市北区安治川上通に創設された日本製銅もその一つでした。

1897年、日本製銅を住友家が買収して、銅・真鍮類を板や棒・線などに加工する事業を担ったのが住友伸銅場(同年4月1日創設、1913年、住友伸銅所=写真=と改称)でした。1909年には製管工場、1912年には鋼管工場を新設し、日本ではじめて銅や真鍮の引き抜き管・継目無し鋼管の製造を行ないました。

*『大阪』の「北港海岸」と比べてみるとおもしろい。『大阪』では風景は現実の風景であり、その現実の「物質」の圧倒的イメージが「葦の地方」をつくりあげたのだが、『風景詩抄』においては、現実の風景から遠ざかっていって「葦の地方」が追跡されているのだ。誰もまだ到達していない場所。「私」は「夢」にすがってそこへ到達する。だが「なんだかへんなところもある。/けつきよくどこだかわからない」のだ。「葦の地方」は地理的にではなく心理的に「杳い」ものとなり、いまや現実の風景から隔絶しようとしている。

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