2017年5月2日火曜日

北港海岸

   北港海岸

島屋町 三本松
住友製鋼や
汽車製造所裏の
だだつぴろい埋立地を
砂塵をあげて
時刻(とき)はづれのガラ空の市電がやつてきてとまる。
北港海岸。

風雨に晒され半ば倒れかかつたアーチが停留所の前に名残をとどめてゐる。

「来夏まで休業――」

潮湯の入口に張り出された不景気な口上書を見るともなく見てゐると
園内のどこかでバツサバツサと水禽の羽搏きがした。
表戸をおろした食堂、氷屋、貝細工店。
薄暗いところで埃まみれのまゝ越年する売残りのラムネ、サイダー、ビール罎。

いまはすでに何の夾雑物もない。

海から 川から

風はびゆうびゆう大工場地帯の葦原を吹き荒れてゐる。


大阪は古くは難波津とよばれ、港とともに発達してきました。港湾としては、1868(慶応4)年に開港。江戸期には、北前船などの寄港地として栄えました。

工業港としての性格が強い北港、天保山付近の築港、フェリーターミナルをもつ南港の三つの区域に分けられます。

1929年(昭和4)7月25日に第二次修築工事にとりかかり、北港、南港の建設も進められ、1937~1939年には戦前の最盛期を迎え、取扱貨物量日本一を誇りました。

*「ほんとうはこれは大阪の周辺でなくてもかまいません。川崎でも鶴見でも芝浦でも、或は洞海湾にのぞんでいる北九州の工業地帯でもよろしい。日本でなくてもアメリカの工場地帯でもよい。大阪の工場地帯の風景を写実的に歌うことが目的ではないからです。でありますから、『北港海岸』という詩を読んだ大阪の読者に、ああこの詩はあすこの工業地帯を歌ったんですね、と納得されたところで私は少しも嬉しくはありません。むしろこれは一体大阪のどこです。こんなところが大阪にありますかと云われた方が、作者は愉悦を感じるでしょう。」(「激動から秩序へ」)
 このような意図はこの詩集『大阪』ではまだ充分になしとげられたとはいえない。次の詩集『風景詩抄』を待たねばならない。《安》

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