2017年5月23日火曜日

人造石油工場一つ

   人造石油工場一つ

錆びた鉄路の間で
月見草は年々その種を絶やしてゆく。
アルミニュームペイントを塗つた
銀灰色の巨大な球が
灼けた砂の上にならぶ。
通俗科学書が説く
太陽熱や潮汐の利用などといふことは私を少しも興奮させない。
私の空想は極めて控へ目だ。
もう二三十年もたてばこの地上から掘りつくされるといふあの生臭い真黒な泥を未来だと云つてゐる。
海を見よ。
あきらかに
一つの設計が
そこに創まるとき
地上の風景は心憎きまで荒廃して見える。
私は 物より
わづかに早く
そこにゆかう。
発明や
資本や
鉄骨や軌道の集積より
わづかに早く。


「人造石油」は、石油以外の化石資源すなわち石炭、オイルシェール(油母頁岩)などを加工して得られる石油代用燃料のことです。石油資源の乏しいドイツなどで開発された技術で、第2次大戦ではドイツの年間総需要の30%、500万トンもの人造石油が製造されたそうです(写真は、ドイツ・IGファルベン社の人造石油プラント)。

日本でも満州(中国東北部)、朝鮮半島、樺太(サハリン)、北海道など18か所の人造石油工場を建設、1941~1944年の間に年産20万トン余りを生産していますが、完全な工業化に至る前に終戦となりました。

石炭も石油も主成分は炭素と水素です。水素が石油には13%以上含まれますが、石炭は5%以下です。石炭に水素を添加することによって石油類似の炭化水素に転換しようとするのが、石炭の直接液化法(水素添加法)です。

この方法で1913年、ドイツのベルギウスは直接に石炭を石油に変えることに成功しました。微粉砕した石炭に石炭液化の工程でできた重質油を50%以上加え、鉄系の触媒を数%混ぜた石炭ペーストを、反応温度450~470℃、水素圧力300~700気圧の反応塔に送入して反応させると石炭の大部分が人造石油に転換します。

1927年に初めてドイツのロイナに年産10万トン規模の本格的な液化工場が建設され、第2次大戦中の1943年には五つの液化工場から150万トンの内燃機関用燃料が生産されました。

日本でも1923(大正12)年に、燃料研究所と徳山海軍燃料廠で研究が始まり、大戦中には満鉄撫順と朝鮮人造石油阿吾地で、1日の石炭処理量がそれぞれ50トンと100トンの試験工場が稼動しましたが、大量生産には至りませんでした。

*人造石油工場とは文字通り石油を人造する工場であって、今日全盛の石油化学の工場ではない。小野は私の空想は極めて控え目だといいつつ海に人造石油工場一つを見る。そして「物よりわづかに早くそこへゆかう」という。安東次男がこの詩にかかわって「小野十三郎の詩を解く鍵はこの願望の持続の度合いとそれが採る姿を見定めるところにかかっている、といってもよい」と示唆している。「物よりわづかに早く」という詩句にこの詩の「夢」の重味がはかられているといっていいだろう。

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