2017年5月27日土曜日

黄昏の地平

   黄昏の地平

山を越え
谷を渡り
君もまた長い旅行を私とともにしてゐる。
君を田園の中で見失なつたとき
私は寥しかつた。
けれども君はやはり私と並行して
遠い平野の果を旅してゐた。
まもなく大きな都会(まち)が近づいてきた。
君は再び姿をあらはした。
はるかに碍子は白く光り
蠍(さそり)のやうな鉄柱の群はしだいに近接してきた。
一梳き 二梳き 三梳き
そしていま私の列車の屋根を斜めに飛びこえる。
頭(かうべ)をめぐらして私は君を反対側の車窓に追つた。
黄昏の地平は暗く
煙霧がたちこめてゐる。
君の行方を見送つて
ここで訣れる。


この作品で詩人は送電線(高圧線)とともに「遠い平野の果を旅して」います。送電のための電線路で最も多い架空線式は、碍子(がいし)を介して、鉄塔、鉄柱その他に架設されます。電線には導電率の高い硬銅線、硬銅線よりも軽い鋼心アルミ撚線(よりせん)、コロナ発生を少なくするため外径を大にした中空銅線等が使用されています。

電気の旅のスタートは、電気をつくる発電所です。発電所では、数千V~2万Vの電圧の電気をつくりますが、これを発電所に併設された変電所を使って、送電に効率のよい電圧に変換し、送電線に送り出します。各発電所でつくられた電気は27万5000~50万Vという超高電圧に変電されて送電線に送り出されます。変電を繰り返して徐々に電圧を下げるのは、発熱による送電ロスを少なくするためです。送電ロスが少なくなれば、長距離の区間を効率的に送電することができるのです。

大正に入って約10年間は、電線工業の成長時代と考えられます。電気事業は電燈時代から電力時代に移行し、数多く電力会社が創設されました。大電力の水力発電所を遠隔の地に求めたため、長距離の大送電線の建設が必要とされ、送電電圧も急激に高められてきました。1914(大正3)年には11万5千Vが完成。1916年には2万V、1921年には3万V用のケーブル製造が行われています。

*旅先の車窓から眺めている小野の心をひきつけるのは、やはり山でも谷でも平野でもなく、送電線であった。自分と同じように旅をしているようにみえる送電線への親密感は、普通、詩人の旅する心の反映として捕えられて抒情詩のかっこうの題材となるが、小野の場合、いささか異っている。明らかに小野は送電線を「もの」として自己の対置物として捕えており、そう捕えることで、まるで同志へ呼びかけるような親密な呼びかけが発せられている。ここにあるのは感情移入ではない。重工業につながる送電線を見送る小野の視線はやはり『風景詩抄』で達成した視力にちがいない。《安》

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