2017年5月7日日曜日

風景(四)

   風景(四)

ここは
もうどんなに
荒れてゐても
燻んでゐてもいい。
とつくにの海や街と
もはや寸分見分けがつかなくなつてゐたつていい。
見分けがつかなくなつてゐればゐるほど
それだけいい
枯葦が鳴つてゐるのも
極めて自然だ。
煙の中の
あの大きな夫婦煙突だつて
想ひ出してごらん。
どこかで見たことがあるだらう。
ここはもうどんなに荒れてゐてもいい。
荒れれば荒れるほどいい。
昔、オルダス・ハツクスリーと云ふ英吉利の詩人が
汽車の窓から
このあたりを見たことがある。
物凄い雨の日だつた。


「とつくに」(外つ国)は、外国、異国。

「夫婦煙突」というと、2本の大きな煙突は、炭坑節で「あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろ」と歌われた、筑豊の二本煙突(福岡県田川市)=写真=を思い出します。かつてここには、筑豊の主要炭鉱として栄えた三井田川鉱業所伊田坑がありました。煙突は1908(明治41)年3月に完成しました。第1煙突、第2煙突とも、高さは45.45メートルで、現存する明治期のものとしては最大級だそうです。

英国の作家「オルダス・ハツクスリー」(1894-1963)は、サリー州ゴダルミング生まれ、医学を志すが、失明状態となり断念。風刺小説「クローム・イェロー」(1921)などで英国戦後派の作家としての地位を確立し、1923年イタリアに移住。1928年音楽の対位法を小説に導入した「恋愛対位法」、1932年にはアンチ・ユートピア小説の傑作「すばらしい新世界」を発表しています。1938年米国に眼疾治療のため移住し、1932年には、東西の神秘主義に関心を示し「幾夏を過ぎて」を発表、ほかに評論や旅行記などを多数書いています。

*関東大震災後の日本を訪れたオルダス・ハックスリーは、『東方紀行』のなかで神戸に上陸して大阪を通過したしたときのことを次のように書いている。
「われわれは汽車に乗り込んだ。そして二時間ばかりの間はぼんやり見える丘に囲まれ、工場の煙突の林立している灰色の田舎をひた走っていた。数哩ごとに、まばらな煙突の林はしだいに増して森となり、その脚下には、樹の根本の毒茸の群のように、木造の小屋の一塊を囲らした日本の町があった。これらの茸の群の最大のものが大阪なのだ」。
 小野はこれを読んで自分よりも何年も前にイギリスの一作家が「葦の地方」を発見していることを知って驚いた。さらに自分のと同じ眼で「葦の地方」を見たこのイギリス人作家の「日本の未来は、他のあらゆる国と同じく、その真ならざる姿にかかっている」という言葉に強い衝撃を受けた。ハックスリーのこの言葉に関して小野は次のように述べている。
 「この『真ならざる姿』とは何でしょう。それはつまり桜とか富士山とか日本精神とかいうものではなく、一言にして云えば、物そのものの非情さであります。日本の未来がこれにかかっているということはなんと痛烈な予言だったでしょう。私の詩に屡々現出する重工業地帯の荒廃した風景は、即ちこの物の非情さの幻で影のようなものであって、私はそれをお目出度い精神主義に対置さし、『真ならざる姿』に真実の姿を見ることに一種の爽快さをおぼえました」(激動から精神へ)。

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