2017年6月12日月曜日

小鳥たちの風景の記憶について

   小鳥たちの風景の記憶について

アツタカクナツテモアスコヘハユケナイアノクニノ
アノカワノアノアシハラハ
モウダメダ


日本国の美称として古来、豊葦原という言葉が使われてきました。神話に基づく日本国土の呼称で、豊かに葦の生い茂っている原の意です。

『古事記』や『日本書紀』では「葦原中国(あしはらのなかつくに)」とあって、天上界の「高天原(たかまがはら)」、地下の「黄泉国(よみのくに)」に対する中央の世界、つまり人間界をさします。

高天原からみて、海辺にアシの繁茂するいまだ開けない(これから開き、治めるべき)土地と考えられているわけです。「豊葦原の瑞穂の国」ともいわれますが、「豊」は豊か、「瑞(水)穂」はみずみずしく実る稲の穂の意の美称とされます。

*(この詩も)「大海辺」で語られた小野の「風景の大荒廃の中絶」に与えられた新しい表現であろう。ここには『風景詩抄』の「瞳」が生きている。小野は「葦の地方」のイメージが『大海辺』の作品にはとどいていないと書いた。たしかに「葦の地方」のイメージは中絶したが、それを見据えていた「瞳」は確実に生きつづけた。やってこない小鳥を捉える眼であり、一瞬殺到する白い葦を受けとめる眼でもある。《安》

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