2017年6月19日月曜日

冬の旅

   冬の旅

  夜の雲

夕霧になつても
つめたい大きな雲の峰はくづれなかつた。
榛原(はいばら)のへんで
頂から煙のやうに溶けていた。

  豊富な山

トンネルの入口に
斑のある山百合が一つ咲いていた。
水がもれている崖の
あんな高いところから押し出されて。

  みづうみ

雨中を
日本のみづうみに沿うて
汽車ははしつていた。
スタインの本だつたかな、ロブ湖。
ひよいとそんな言葉がうかんで
悲しかつた。

  暗い寒い田園の中を

深夜。
もう四時頃だらう。
その時まだ暗い寒い田園の中を
煌々として過ぎる
大宮殿のごときものがあつた。

  死

方四里。
真赤に枯れている松林を見た。
死はまさにかくあるべきだ。


「榛原」は、奈良県の中東部、大和高原の南端に位置する地域。平坦な地でも海抜300m前後あり、周囲の山は600〜800mに達します。榛原町は2006年から宇陀市の一部になりました。

「ロブ湖(ロブノール)」=写真、wiki=は、中国、新疆ウイグル自治区タリム(塔里木)盆地東端にあった塩湖。漢代、「塩沢」「蒲昌海」などと呼ばれ、その水が地下を経て黄河になると考えられました。19世紀末以来のヘディンやスタインらによる探検の結果、湖に入るタリム川、孔雀河の河道変化のために移動するとされて「さまよえる湖」といわれましたが、今日では湖域の移動は一定小範囲を超えるものではないという説が出されています。1960年代以降、両河川流域での灌漑による取水量の急増で湖への流入量が激減し、今日では塩殻におおわれた砂漠があるだけです。

「スタイン」(Stein,Sir Mark Aurel、1862-1943)は、ハンガリー生れのイギリスの考古学者、探検家。3回にわたって中央アジア探検を行ないました。第1次は 1900~01年でホータン付近で調査、第2次は 06~08年でさらに東に進み中国の新疆省各地を探検、トンホワン (敦煌) などにも足跡を印し、千仏洞を発見しました。第3次は 13~16年で、特に中国の甘粛省方面の探検をしています。多くの古文書の収集や遺物の発見を行い、古代における東西文化の交流や交通路の究明に大きな功績を残しています。第4次の探検を志しましたが、中国の官憲の迫害で実現できずに没しました。『セリンディア(Serindia)』 (1921) など、中央アジア古代史について多くの著書があります。

*これは買い出しの旅である。『奇妙な本棚』で小野が述べているところによれば、米・玄麦・薯・木炭などを買い出しに行ったときの行き帰りの汽車や電車の窓から瞬間的に見た五つの土地の風景が反映している。榛原は室生寺の近くの町でその先の伊賀上野が炭の産地であり、「日本みづうみ」は琵琶湖であり、深夜の「大宮殿」は奈良盆地の変圧所風景である。「スタインの本」は買い出しの行き帰りに車中で読んだ本ののなかの一冊である。福知山線の谷川駅へ米の買い出しに行ってやっと五升ばかり求めて帰りの窓からみた山腹の二・三本の杉の大木の枯死したありさまが方四里の松林の死である。これらの詩には、安東次男が云うように「飢餓感を覚えた者にのみ理解されうる」ものがたしかにある。たとえば「豊富な山」という題名、「豊富な」という形容詞は、以前の小野がみせたあの「夢」にまつわる語いではない。《安》

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