2017年6月2日金曜日

大海辺

   大海辺

だあれもゐない。
がらんどうになつたタービン工場。
やぶれた硝子窓を潜つて
海の方へ
雀たちが飛び抜ける。
トタンが一枚捲れて
高いところにぶら下つてゐる。
風が吹くたびに
ぎいぎい音を立てる。

      〇

暗い海の方から
枯れた葦原や
街の方を見てゐる眼がある。
くづれた煉瓦や
赤錆びた鉄骨の隙間から
遠くの山や
平野や
村落の方を
見てゐる眼がある。
雨晒しの大旋盤は悲しきかな
ボールトやナツトはいたるところに散乱してゐる。
夕波は
さびしい音を立てゝ
岸壁を洗つてゐる。

      〇

かへり見れば
さびしい風光ばかりだ。
私は夢に角枯れのある一本の松の大木が
海べりのあの機械工場の煤ぼけた越屋根を突き破つて
――あゝ。日本は。
私は思はず声をあげた。

      〇

明日から工場が閉鎖される。
これからどうするのと訊いたら
国に帰つて百姓になるんだと言ふ。
ふしぎ。ふしぎ。
何処にゐても
私のぐるりは百姓ばかりだ。
遠い古い小さいわが農業国。
どうか安全に
みんなそこに帰りつけますように。

      〇

八月某日。
わが風景の大荒廃こゝに中絶す。

      〇

夕暮。
ひとり。
雨上りの葦原の道を帰る。
潮が引くやうに
半島の若者らは
みな国に帰つてしまつた。
いまは言ふこともない。
こゝにゐたやつはそれはみないゝやつだつた。
みなおもしろいやつばかりだつた。
急にだあれもゐなくなつて
俺はさびしくてしようがない。
お―い。みんな元気か。
錆びた傘歯車が一つ。
未知の上におちてゐた。
俺は拾つて
持つて帰る。

      〇

又夢を見た。
豊後の国。国東郡。
百五十年昔の美しい夕焼雲だ。
その中にあなたはひとり立つてゐた。

梅園三浦。
しきりにあなたを思ふ。

      〇

        (わが海と葦原への戯歌)
俺がゐなくて
寥しいね。
あすこは大きくなれつかな。
アルミの湯沸し。鉄の鍋。
悪魔のゐない童話国。
小さな煙を上げてゐる。
遠いはるかな海と葦。

      〇

冬のはじめ。
泥濘の路。
国道を外れて
暗い寒いあの海の方へ
横倒しにしたボムベを積んで
一台の馬力がゆく。
荒れはてた故国よ。
道はやはりあちらだ。

      〇

雨歇みて
風吹く。

海に白馬立ち
葦原に水溢れ満つ。

わがゆくところ悉く
殿堂にして廃墟。

乱雲四方に連なる。
金光燦爛たり。


きょうから第5詩集『大海辺』です。昭和22年1月15日に弘文社(大阪)から発行されました。小野は『奇妙な本棚』で、『大海辺』という題名は一つの反語であって、当時その海辺に見たのは「小さな海」であったと述べています。

「その海辺に、人間こそ、朝鮮本土から連れてこられた六千をこす徴用工を含めて、二万となんなんとする人間がいたが、工場の施設そのものは、遠くから望見していた眺めとはちがって、スケールが小さく、わたしはがっかりした」というのです。

「大海辺」(だいかいへん)の「海辺」は、海のそば、海のほとり、海岸のこと。すなわち、海洋に面する陸地のうち、波浪や潮汐などの影響を直接受ける幅の狭い帯状の地域をいいます。陸地と海洋の境界領域として独特の地理的・生態的環境をなすのです。 

陸地と海面とが交わる線を海岸線あるいは汀線といいますが、毎日の潮汐の干満につれてその位置は時間的に変化し、前進・後退します。平均的な高潮位と低潮位に対応する汀線を、それぞれ高潮(汀)線、低潮(汀)線といい、両者によって挟まれる地帯を潮間帯といいます。低潮線と波浪の作用の及ぶ陸の限界の間を海浜、あるいは浜とよびます。

*巻頭の組詩「大海辺」は「夢」を刺された小野が視力のかぎりをつくし見とどけようとしてものだ。荒れれば荒れるほどいいといいつづけてきた小野は八月某日「わが風景の大荒廃ここに中絶す」と云わざるを得なかったのだ。無人の工場には雀たちが飛び抜ける。工場の屋根を突き破って松の大木が聳えている。泥濘の路を一台の馬力がゆく。葦原は、街は、山は、平野は、村は、「眼」に見られている。気にかかるのは、故郷に帰って百姓になるという工場仲間。それから国へ帰っていった半島の若者。あれほど人間を意識的に遮断してきた小野の視界に急に生々と人間が雀が植物が入りこんできたという印象が強い。《安》

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