2017年6月23日金曜日

夕暮の川に沿うて

   夕暮の川に沿うて

川波は
岸にみちあふれていた。
ぎいぎいと間をおいて
しづかにきしる櫓の音がした。
夕暮の川に沿うて
眼の前を
白いコンクリート台地の
荒漠とした廃墟が移動していた。
礬土頁岩の大きな丘や
コークスの山は跡かたもない。
たゞ白々と光るあたりに
かつて何かがそこにあった方型の
大小無数の凹みが
口を開いていた。
あすこは何
ここは何と
人々が指さすのを聞いていると
風景はすべてある人間の名につながつていた。
だれも知るまい。
あの薄暗くなつた葦原の中ほどに
地面に向つて三十度の角度で掘り下げられた
一つの深い迷路(ラビリンス)があるのだ。
わが心のあるふしぎな願望は
たぶんさういう竪穴となつて
あすこに残つている。


「礬土」(ばんど)は、アルミナすなわち酸化アルミニウムのこと。天然ボーキサイトから抽出精製されます。高融点で化学的に安定かつ高い熱伝導性と電気絶縁性を持つため、ファインセラミックスのもっとも基本的な素材として、また、絶縁碍子(がいし)、IC基板、研磨剤、人工歯材など広い応用があります。ルビーやサファイアも着色不純金属元素を含んだアルミナ単結晶の一種だそうです。

泥が薄く層状に堆積した岩石を「頁(けつ)岩」といいますが、このうちアルミナの多いものが「礬土頁岩」(ばんどけつがん)です。礬土頁岩を一度焼いてアルミナ分を高めた、いわゆるバンケツは、乳白色や灰色をしていて、鉄分が多くなるほど赤みを増し、耐火物原料として利用されています。礬土頁岩入りのセメントは、耐火性に加えて強度の大きいセメントになるそうです。

「コークス」は、石炭や石油から生産される炭素を主要成分とする固体で、燃料、鉄鉱石の還元、炭素材料の製造などに用いられます。ふつうは石炭の高温乾留で得られるものをさし、石炭の低温乾留で得られるものは半成コークスまたはコーライトと呼ばれます。半成コークスは火つきがよく燃えやすい家庭用無煙炭として利用されてきましたが、いまでは石炭の低温乾留はほとんど行われていません。また、石油から得られるコークスは石油コークスと呼ばれます。

「ラビリンス」(Labyrinth)は、ふつう迷宮、迷路などと訳されますが、本来的にはクレタ型迷宮=写真、wiki=のような分岐のない秩序だった一本道を指していたようです。語源は、ギリシア語のラビュリントス(labyrinthos)。古代の著述家たちがエジプトなどの神殿や宮殿にあったとした複雑な構成の建物を指します。しかしその遺構は確定できず、むしろそれを象徴する文様が歴史的に意味をもち、今日の迷路パズルにもつながることになります。

古代の迷宮文様は、クレタ島、クノッソスの宮殿を舞台とする神話を背景として、呪符・護符としての意味をもっていました。クレタ王ミノスの妻パシファエと雄牛との間に生まれた牛頭人身の怪物ミノタウロスは、クノッソス宮殿にダイダロスが造ったラビュリントスに閉じ込められていたとされ、アテナイの王子テセウスが、クレタ王女アリアドネの手渡した糸の導きでミノタウロスを倒し、迷宮から帰還します。

*この荒廃はかつての重工業を裏がえしにしたあの「荒廃」ではない。これは人為的に破壊された「荒廃」の跡である。人為的にとはもちろん戦争によってということである。だが、この詩は後半「だれも知るまい」以下に力点がかかっている。新しい荒廃のなかを人間は動き出すのだし、小野の「あるふしぎな願望」もまだ残っているのだ。安藤次男はこの詩について次のように述べている。「『迷路』は現象的には忘れられた防空壕であろうが、作者の胸底の『迷路』は、子供が人に知らさぬ隠れ場を持つように、無用になったいまかえって生きている。それを作者は、〈心の傷痕〉とはいわないで、『ふしぎな願望』という」(『日本の詩歌』第20巻)《安》

0 件のコメント:

コメントを投稿