2017年6月29日木曜日

大怪魚

   大怪魚

かじきまぐろに似た
見あげるばかりの
大きな魚の化物が
海からあげられた。
おきざりにされて
砂浜には人かげもない。
ひきさかれた腹から
こやつは腹一ぱい呑みこんだ小魚を
臓腑もろとも
ずるずると吐きだして死んでいる。
その無気味さつたら。
おどろいたことに
その小魚どもがどいつもこいつも小魚を呑みこんでいるのだ。
海は鈍く鉛色に光つて
太古の相を呈している。
波しずかなる海にもえらい化物がいるものだ。
ひきあげてみたものの
しまつにおえぬ。
生乾しのまゝ
荒漠たる中に幾星霜。
いまだに
死臭ふんぷんだ。


16世紀に活躍した現在のオランダの画家、ブリューゲルの「大きな魚は小さな魚を食う」=写真、wiki=と題した絵は、1556年に下絵が書かれ、翌年コックがそれを版画にしました。テーマは、当時のフランドル地方でよく知られていたことわざで、人間社会の弱肉強食を投影し、民衆に強く訴えるものがあったのでしょう。

巨大な魚が大きな口をあけて小さな魚を吐き出し、大きな魚の腹には小さな魚が詰まっている。鎧兜をまとった人がナイフで大魚の腹を裂くと、中からまたたくさんの小魚が踊りだしてくるのです。驕れるものはいつかは自らが迫害される立場に立つことを表わしてるのでしょうか。

そして、小舟に乗った父親が子に「あれをごらん」と指さしています。絵の右端には、「エビでタイを釣ろう」としている道化がいます。左端では、足の生えた魚が魚をくわえて一目散にその場を離れていきます。利をむさぼる者たちばかりの世にあって、魚がゆうゆうと空を飛んでいます。

*この作品の出発点には二つのことがらがある。「この詩を私に書かせた直接の動機は、日本の政治の腐敗、眼にあまる政治家や官僚たちの汚職沙汰であります。それに対する怒りというよりも、はげしい嫌悪が私にこのような詩を書かせたのです」(『工作者の口笛』国文社「ダブルイメージ」)。これがその一。

「私のこの詩のバックには、何をかくそう、このブリューゲルの原画によって、ジェローム・コックが版画にした悪夢の奇々怪々な幻想絵画のイメージがあります」(同書)。これがその二。

だがわれわれはもちろん出発点その一も出発点その二も、知らなくってもいいのだし、忘れてしまってもいいのであって、むしろ出発点に足をとられて、それだけのことしかこの詩から読みとれないとしたら困ったことである。

小野自身「見あげるばかりの大きな魚の化物が、ただ汚職政治家共を意味し、またそれがどんらんな資本家の太鼓腹のイメージをよびおこしても、もしそれがゴヤの『夢の妄』やブリューゲルの絵に見るような、人間性の暗い所で結ばれる超現実的ともいうべき無気味な夢につながらなければ、私のこの詩は決して生れなかったでしょう」(同書)と述べ、また別のところで「私が気になるのは、この詩が一篇の幻想絵画的な詩として、私自身が半ば造型して放り出したイメージの後半部を読者が各々の想像力によって補い、一つのものにしてくれたか、またそれだけの力をこの詩が持っているかどうかということである。(『現代詩手帖』創元社)と述べている。《安》

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