2017年6月3日土曜日

   夢

きみか。
あんなところに
大砂漠の幻影を見たのは。
そしてその中に
バム鉄道の彼方にありさうな
重工業都市を一つ置いてみたのは。
どんな荒々しい非情の自然を
きみはその眼で見たのだ。
あすこに
そんなものがあつたのか。
そしてまだあると思ふか。
岩山や地溝の切りこみが
神々の濃霧が
海にまで迫つてゐた
この国に。


「バム鉄道」=写真、wiki=は、バイカル・アムール鉄道の略で、第2シベリア鉄道ともいわれます。全長約 3200km。東シベリア南部、イルクーツク州のタイシェトからレナ川上流部沿岸のウスチクートまでシベリア鉄道の支線が延びていますが、バム鉄道はそこからバイカル湖の北を通りチャラ、トゥインダ、ウルガルを経てアムール川下流のコムソモーリスクナアムーレに達します。

シベリアの中部地帯の資源開発などを目的に1974年、着工。多くの山脈、大河川、永久凍土帯などを通るため、建設工事は難航をきわめ、全線が開通したのは84年10月のことでした。ですから、この詩が作られたのはまだ着工前の「夢」の段階だったわけです。

1880年代にシベリア鉄道が計画されたときに、バム鉄道に近いルートも候補に挙がったそうですが、最終的に候補から外れました。バム鉄道は、満州事変勃発の翌年、1932年にはソビエト連邦によって極東の防衛に備えてすでに計画されていたそうです。

さらに部分的には、東西両端から建設に着手され、1945年夏には東部のコムソモリスク・ナ・アムーレからワニノ港までの一部区間で運行を開始、西部区間でも1947年にはタイシェト~ブラーツク間の輸送をはじめています。建設にはシベリア抑留で捕らえられた日本人も多く使われ、犠牲者も多かったそうです。

*これは小野の苦い自問である。「あすこにそんなものがあつたのか」「そしてまだあると思ふか」という問に「あつた」「ある」と答えるにはあまりに現実は急迫したのだ。「神々の濃霧が海にまで迫つてゐたこの国」と述べる口調には諷刺の影もない。あるのは「夢」を刺された痛みだけだ。《安》

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