2017年6月30日金曜日

   橋

APカメラマン、マツクス・デスフオー作「平壌の避難民」(1951年ピユリツツア写真賞)を見て

ひらめき
旋回し 反転し
落下し また直上し
天空を
縦横十文字に
飛び廻つている一コの眼球が
びゆつと地上寸尺を擦過して
弾ねあがろうとしたとき
猛烈な速力で風をきつている宇宙の大風車に
矢になつて
突きささつた。
天地が一ゆれして
静止したところ
その真正面の空間に聳え立つたのは
爆破された大同江の鉄橋だ。
曲りくねつたアーチ。
たれ下つた鉄骨。
巨大な蟻塚のようなものが
高く真赤に
東洋の夕陽に映え
眼をこらせば
その上を二列になつて
おびただしい難民の群が動くともなく移動している。

無辺の天に
弾ねかえらんとして
眼はその場に
釘づけになつた。


日本の敗戦後、北緯38度線によって南北に分断された朝鮮半島では、1950年6月25日に北朝鮮軍が38度線を突破して南下、以後、53年7月27日の休戦協定調印まで朝鮮戦争が続きました。

韓国軍を釜山(プサン)まで追い詰めた北朝鮮軍は、米軍主体の国連軍の仁川(インチョン)上陸で中国国境の新義州(シニジュ)まで敗走します。その際、中国の義勇軍が参戦し、韓国軍・国連軍を退却させました。

中国軍は、1950年12月4日に平壌(ピョンヤン)を奪還し、1950年12月中旬までに、北朝鮮のほとんど全地域を掌握しました。

1950年12月4日の戦闘で、平壌を流れる大同江(テドンガン)の鉄橋が爆破される場面を、朝鮮戦争を取材していたAP通信のカメラマン、マックス・デスフォー(Max Desfor)が撮影=写真、wiki=し、翌年のピューリッツァー賞に輝きました。

この写真にはまさに「天地が一ゆれして/静止したところ/その真正面の空間に聳え立つたのは/爆破された大同江の鉄橋だ。/曲りくねつたアーチ。/たれ下つた鉄骨。/巨大な蟻塚のようなものが/……/眼をこらせば/その上を二列になつて/おびただしい難民の群が動くともなく移動している。」様子が写し出されています。

朝鮮戦争は、以来戦闘は38度線沿いに続けられ、休戦協定によって38度線と斜めに交わる軍事境界線(休戦ライン)が設定された。これが今日の南北の事実上の国境線となり、南北の分断を固定化した。

*この作品を書いたときのことを小野は次のように書いている。
「それは北鮮軍が破竹の勢で南下しつつあった朝鮮戦争もまだ初期のころであった。ある朝、わたしは新聞で、マックス・デスフォーというAPのカメラマンが撮った『平壌の避難民』という写真を見た。報道写真として掲載されたているのでなく、学芸欄のコラムみたいなところに小さく出ていたので、この1951年のピュリッツァ写真賞を獲得した作品も、うっかりすると見過してしまうようなものであったが、わたしの眼は食いいるように小さな写真にひきつけられたのである。そこで、起きぬけに、二階の書斎にかけ上って、写真とにらめっこしながら一気にこの詩を書きあげた。相手はアメリカの報道カメラマンが撮影した一枚の写真である。しかるに、それはわたしを奇妙に興奮させた。想像力はそれをとっかかりとして、さらに視角を変え、おそらくこのAPカメラマンの予想もせぬだろう方向に無限に拡大して行った」(『奇妙な本棚』)
 この作品にあっては、まず「眼球」の激しい運動と突然の静止がわれわれに衝撃を与える。「眼」が見たものは、やがてゆっくりと迫ってくる。その意味でこの作品は「舟幽霊」と奇妙に似たところを持っているのに読後気づくだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿