2017年7月1日土曜日

地下要塞

   地下要塞

たしかに日本国内だが
それはどこか
人里離れた山の中であつた。
すうつとからだが墜ちてゆくように思つたらエレベーターだつた。
どうしてこんなところにきたのかわからない。
そのまま二十階ほど降下すると
扉が左右にひらいて
そこで私は待ちかまえていたたくさんの人たちに笑顔で迎えられた。
ふしぎなことに
かれらはみな胸に十字に古風な弾薬帯をかけていた。
東京郊外に住んでいる友だちや
その家族の人たちの顔もまじつていた。
かれらはだまつて私に手をさしのべた。
おじさん、いらつしやいと
声をかけてくれる中学生くらいの少年もいた。
それはまばゆいばかりに煌々と蛍光燈がともつている
ひんやりとした地の底であつた。
ドーリヤ柱列(オーダー)の溝彫りがある大円柱が無限につづいていた。
そしてそこには
かすかにエンジンの響がながれていた。
おまたせしましたと云つて
私が外に出ると
これでみな来た
全部! と
だれかが云つた。


「要塞」とは、敵の攻撃に対抗できるように、軍事技術や建築工学を応用して造られる堅固な構築物のことをいいます。国境や海岸、重要都市などに築かれる永久要塞は、敵の攻撃にできるだけ長くもちこたえられ、味方の安全な避難場となりうるように、煉瓦、コンクリート、石などで入念に築かれます。旅順要塞や、フランスの対ドイツ要塞であるマジノ線があげられます。

「ドーリヤ柱列」のドーリア式は、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)のひとつで、イオニア式、コリント式と並んいで三つの主要なオーダーに位置づけられています。ドーリア式のオーダーが用いられている代表的建造物としては、アテナイのパルテノン神殿=写真、wiki=バチカン市国のサン・ピエトロ広場などがあげられます。

紀元前6~5世紀のアーカイック時代には、ポリスの守護神をつくり、それを中心の丘に神殿を建てて祭る儀式が始まりました。まず、ペロポネソス半島に入ったドーリア人とイオニア人がそれぞれの様式で神殿を造るようになりました。

これらがドーリア式、イオニア式といわれるようになり、少し遅れてコリント式が生まれた。それらの違いは列柱の上部の飾りの違いに、鮮明に現れています。ドーリア式は、列柱が短く、ほとんど装飾を用いずに屋根を支えています。ふつうは「荘重」という印象で語られることが多いようです。


*「砦」の幻想がはじめてあらわれた作品である。この作品にしても、『重油富士』の「高いところ」にしても、そのイメージは案外黒四ダムあたりから発したものではなだろうか。一方『とほうもないねがい』の「山狩」や『異郷』の「城砦」は、子供の頃の裏山での陣地づくりに発しているようだ。それにしてもこの作品は奇妙な魅力を持っている。異常なありえないことが、全く日常のこととして書いてあって、幻想へのいささかのちゅうちょもない。「これでみな来た 全部!」という声は幻想の完結性とともにこれからこの世界でなされようとしていることの充実感を暗示するとともに、詩人が「最後にたどりついた者」であるという別の命題をも提示しているようだ。『垂直飛行』中でも小野は「グゼンの里」と題して山中の地下要塞行を再度書いている。《安》

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