2017年7月13日木曜日

西班牙

   西班牙

若さに
そんなに
まともな理由なんかありやしない。
神だとか自然だとか
永遠の観念だとかいう酢つぱい食物を
口にして吐き出したまでだ。
昼も夜も
あやしげな酒場で酔つぱらい
ごたくをならべては
相手も場所もかまわず
喧嘩を吹つかけたり
むちやくちやな恋愛をしたりしていたころの何かが
まだここのところに
少うし残つているのだ。
ひそかな願望はと言えば
愛する仲間の心や
信頼する組織の抱擁性と深さに甘えて
かれらから時々しようがないやつだと思われたいことだ。
いつまで若いということに
その他に何か秘密があるか。
夢はしずかだが
ここはスペインの岩石砂漠だ。
到るところに中世の暗い城郭が聳えているのだ。
荒れ狂う血の古さがあるのだ。
同じ陽ざしでも
カタロニヤの
これは夕暮だ。


「西班牙」(スペイン)の「カタロニヤ」=写真、wiki=は、スペイン北東部の地方カタルーニャの英語読みです。古くからギリシア人、フェニキア人が植民市をつくり、古代ローマ時代には、ヒスパニア・タラコネンシスとよばれる属州の一部でした。5世紀から西ゴート人が、8世紀からは北西アフリカのイスラム教教徒であるムーア人が侵入し、この地を支配します。8世紀末にはフランク王国のカール大帝が侵入し、9世紀初めにスペイン辺境領とし、後にバルセロナ伯領として独立しました。

レコンキスタ(国土回復戦争)の進展する過程で、12世紀から15世紀初めまでアラゴン王国と同君連合でしたが、この間、カタルーニャは地中海貿易を独占して繁栄しました。15世紀末のアラゴンとカスティーリャ両王国の合併と大西洋航路の発見によって、スペインにおけるカタルーニャの地位は低下しましたが、カスティーリャに反抗して政治的、言語的な自治を要求し続けました。

19世紀後半には、カタルーニャはスペインの労働運動の中心地となり、マドリードからの分離・自治権獲得運動も活発となります。十三郎も興味を抱いていたアナキズム、サンジカリズムが有力なことが、この地の労働運動の特色です。スペイン第二共和国の成立によって1932年に自治権を得て、1936~39年のスペイン内戦においては人民戦線派の拠点となり、内戦の最後までフランコ軍に抵抗しました。

*「一篇の詩に語らせた自叙伝と読んでもよいし、詩法ともいえよう。あらかじめ用意された、墓碑銘でもあるようだ」と安東次男は述べている。前半は小野の心情が生ででているとみていいだろう。「愛する仲間の心や/信頼する組織の抱擁性と深さに甘えて……」というあたりの告白体は自伝的考察『奇妙な本棚』にしばしばあらわれるものである。《安》

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