2017年7月14日金曜日

造園術

   造園術

よろしい。
それならお前の夢は?
それを言つてごらん。
きいているのはぼくだけだから。
思いきつて大胆に。
まずそれはこんなものではないかと思うことを。
お前の夢にあらわれる土地や風景を
どんなかたちででもよい。
自由に描いてごらん。
お前が創造出来ること
こうなれば世界はどんなに美しいかということ。
でなければせめてこんな風になればと思うようなことを
それをいますぐ言つてごらん。
めんどくさいからつて
シルフやフェアリーが遊んでいるアルンハイムの水流を指したり
ゴビの向うにある大きな国をあげたりしたつてだめだ。
スエーデンの消費組合はなどというのもだめだ。
とつさに考えをめぐらして
小さな穴から一条の強烈な光を導入するように
ある朝雨戸をけつたら外はという風に
それを鮮明に
眼のあたりに実現させるのだ。
あゝ、しかしぼくならとんでもないまちがいをしやしないかと思う。
鬱蒼たる木の間に
急傾斜の大破風をもつた
飛騨の白川村の民家のような
そんな聚落があらわれたり
或はオーストラリヤのキャンベラのような
真白な田園都市が浮かんだら
それはまだよい方だろう。
ひよつとすると
ぼくはだしぬけに
たとえば昨日新聞で見たばかりの
長崎港外にある
端島炭礦の遠望写真を想い出して
あすこに見えるあれがなどと言いかねないのだ。
海上はるか
四隅に塔のある中世の城郭のような
そしてその上に束になつて数本の大煙突がそびえているあの断崖絶壁を
せつぱづまつて
ぼくの夢なんですと
言つてしまうかも知れない。


エドガー・アラン・ポーの短編「アルンハイムの地所」では、遠い親戚から巨万の富を相続したエリスンという男が、その金を使って自然に手を加え、究極の楽園を作るという物語です。前半でエリスンが人工的な美を追い求めるに至った経緯を描き、後半はエリスンの死後、アルンハイムを訪れた人々が見た楽園が描写されいます。

眼前にひらけたアルンハイムの楽園には、高い東洋の樹木や鬱蒼たる灌木、金色や深紅色の小鳥の群れ、ユリで縁を囲まれた湖、そして、スミレ、ヒナゲシ、ヒヤシンスなどが生い茂った牧場、金色の小川の長く入り乱れた線などが見える。さらに、半ゴシック風・半サラセン風の大きな建物がそびえ立っている。それは、あたかも「シルフ」(気仙)や「フェアリー」(妖精)などが、力をあわせてつくり出した幻の楼閣のやうに見えたとされています。

「端島」=写真、wiki=は炭鉱開発のために周囲を埋めたてられ、要塞のような人工島になっています。もとは瀬でしたが、埋め立てにより周囲1.2㎞、面積約6.3ha、南北に細長く、長さ約480m、幅約160mの海岸線は、直線的で島全体が護岸堤防で覆われています。炭鉱で採炭される石炭は八幡製鉄所の製鉄用原料炭として供給され、日本の近代化を支え続けてきました。

最盛期の1960年には島内に5267人も暮らしており、東京の9倍という脅威の人口密度でした。炭鉱労働者は所得も高く、大半の人が都会にも無かった高層マンションに暮らし、カラーテレビの普及率が平均10%時代に、この島では100%の人が所有していたといいます。1974年に閉山し、その後35年間は島民でも上陸できませんでした。

*この詩にあっては「夢」が正面から問われている。それならお前の夢を云ってごらんと。とっさに考えをめぐらしていますぐ云ってごらんと。「いってみれば、死を無際限の夢と視、黒を白、微視を巨視といいかえる式の、かなり強引な自己催眠が意識的に演出されている」と安東次男は述べている。小野がこの種の「強引な自己催眠」によって「意識的に」なにを果そうとしているかは、『風景詩抄』以後この『火呑む欅』に至ってかなり明らかになったといえる。「冬の海から」以下8篇に、そしてまた「不知火」以下6篇に、「西班牙」「造園術」の2篇にあらわれた「夢」をのせてすかしてみるといい。「せつぱづまつて」これがぼくの夢ですといってしまうという「せつぱづまつた」情勢のなかにおいてなお「ビクともしない感性の不動の秩序」を求めているのだろう。そして小野が常に考えているのは「問題の方向に動く想像力」であろう。この詩の最後で小野は「せつぱつまつて」長崎港外端島炭礦遠望写真を持ちだしたように書いているが、それは小野の手管であって、「せつぱつまつて」しか「夢」はいいだせないのだし、せっぱづまった夢から問題の方向へ歩いていけるのだという自信のようなものをむしろ感じる。『異郷』『垂直飛行』など最近の詩集において小野の「夢」は不鮮明を脱してまことに鮮やかに奔放に展開する。《安》

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