2017年7月3日月曜日

日本の新聞

   日本の新聞

夕ぐれ
まだ灯のいらぬ街の
新聞売場に
荒縄でしばられた
夕刊の束がどさりとつく。
待ちかまえていた子供たちは
それを地べたでほぐして
一枚々々すばやくおりたゝみ
白木の組立台に
社名の耳をそろえて
きれいにならべる。
そしておもしの小石を
その上にのつける。

ビルから吹きおろす風に
十数種類の日本の新聞がはたはたとそのへりをひるがえす。
それは何ともいえないかなしい音だ。

それはかなしい音だ。
千を越す日本の新聞が
どれもこれもただ一つのことをしかうたわずうたえぬ日本の新聞が
戦争の匂いのする日本の新聞が
それでもまぎれもないわれらの日本語で縦に組まれた日本の新聞が
いま夕ぐれのこの時刻に
われらが祖国のいたるところで
はたはたとその青白いへりをひるがえしている。
北海道の果でも。九州の街々でも。

私は見た。
舗道に散つた
刷りたてのその一枚が
風をはらんで
巨大な生物(いきもの)のように起ち上つたのを。
それは横断道路をなゝめにつつ走り
ロータリーの
枯れ銀杏の根つこに
二枚折れにへばりついたと見るまに
たちまち
中天に舞いあがった。


夕刊を専門に発行する夕刊紙の第1号とされるのは、1877年11月創刊の「東京毎夕新聞」とされ、その後、東京日日新聞など大手の新聞も続々夕刊を創刊させました。

太平洋戦争の激化による新聞の統廃合や製紙事情によって1944年に夕刊はいったん廃止されますが、しかし、大手全国・県域紙が夕刊発行のための子会社などを設立し、戦後の1950年前後から夕刊が復活しています。

戦後、大阪市では、「大阪新聞」「大阪日日新聞」「関西新聞」「新大阪」など夕刊紙がたくさん発行されていました。大阪府の地方紙は、すべて夕刊だったそうです。

駅の売店に行列ができ、分厚く積み上げられた新聞の山があっという間になくなっていく。新聞社の発送の搬出口では大八車が待ち構え、待たせないように印刷部門では、水を含ませた布を当てて、輪転機の過熱を冷やしながら回し続けました。

中でも戦前からの歴史のある大阪新聞はダントツの人気でした。大阪新聞が誕生したころの日本新聞年鑑には「此の新聞の本領は無色透明の大阪第一主義で……一寸亜米利加の州新聞の生立と似てゐる」と紹介されています。

大阪新聞は、全国紙の産経新聞のバックアップ体制から取材、紙面づくりは他紙を圧倒しました。織田作之助、司馬遼太郎など数多くの作家を輩出した新聞としても知られています。

*おもしの小石のしたでひるがえっている夕刊をとらえる眼。北海道から九州まで日本全国いたるところでひるがえっている夕刊を捕える眼。巨大な生物のように起ち上って中央に舞いあがる一枚の夕刊を捕える眼。広角、望遠、あらゆるカメラを駆使して小野は戦争の臭いをあばく。力のこもった作品だ。《安》

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