2017年7月8日土曜日

深夜の富士

   深夜の富士

乗ると
すぐねむつてしまつたが
ふと眼がさめた。
いつのまにか丹那はすぎて
沼津の近くだ。
ぼうばくとしたすそのの斜面をのぼつて
天のなかほどまで点々と灯がついている。
「――あゝ、富士ですね。」と
その時向いに坐つていた顔色の悪い青年がはじめて口を利いた。私に。
窓の外を透かしてみるようにして。
私はうなずいた。
しかしそれは
かれのひとりごと
だつたかもしれない。


「丹那」は、静岡県東部、箱根外輪山南麓の町である函南(かんなみ)町の丹那地区。北は神奈川県境に接し、北西部は沼津・三島両市に隣接しています。箱根十国峠ケーブルカーからは富士山の見事な眺望が開けます。酪農、ニンジンなどの根菜類やスイカ、イチゴの栽培が盛んで、都心からのアクセスがいいので、東京・神奈川のベッドタウン・別荘地としても発展しています。また、函南町から伊豆市まで約30キロメートルにわたる活断層「丹那断層」でも知られています。静岡県東部700年から1000年周期で大地震が起こると考えられ、1930年の北伊豆地震で最大3.3メートルの横ずれが生じました。

また、丹那トンネルは、東海道本線の熱海駅〜函南駅間にある複線規格のトンネルです。総延長7804m。1918年に工事に着手しましたが難航をきわめ、1934年に完成しました。「いつのまにか丹那はすぎて/沼津の近くだ。」ということは、詩人は東海道本線の列車で、東京のほうから大阪方面に向っていることがわかります。

*この詩について小野は、加藤周一の「書かれていることはわからないことはないが、なぜこのような詩が書かれねばならなかったかわからない」という言葉、壺井繁治の「この詩のモチーフはよくわからぬ」という言葉、岡本潤の「『大海辺』以後の小野の詩にはぼくが現代詩に対してもつ疑問が集中的にあらわれている」という言葉を挙げたのち、次のように反論している。
「なぜこのような詩が書かれねばならなかったかわからないという加藤さんの言は一寸作者たる私には解せないのです。この詩がかりにただ夜汽車の中で『向いに坐つていた顔色の悪い青年が』『あゝ、富士ですね』と云ったが、自分に云われたのか、かれのひとりごとだったかわからなかったということを書いたものに過ぎないものとすれば、加藤周一が云ったように、それはただよくありそうな些細な話で、詩に書くには価しなかったでしょう。しあし若し作者が、たまたま同車したこの顔色の悪い青年に、一種の戦争犠牲者ともみなすべき廃疾者や結核病者の姿を見、そしてこういう青年が真夜中に汽車の窓から富士山を望見したときに、それが国家的象徴としての霊峰富士に観念聯合して、あの戦争当時の記憶を蘇らせ、どんな感慨を彼に抱かせるだろうかということを想像してみたとすれば、それは充分書くに値することであって、一つの詩のモチーフに充分なり得るものであると私は考えます。青年が真夜中の富士を見て、ひとりごとを云ったというようなこととはわけがちがうのです。」(『工作者の口笛』国文社「激動から秩序へ」)
 小野はさらに「今日多くの人たちの心の中から、心の奥底に湛えられている、しめやかな、根強い反戦詩をひきだしたい」といい、「この一篇が、今日の段階に於てそれに正確に対応する心の習慣となっているかどうか疑問」だとしながらも「そういう問題の方向に、諸君の想像力が少しでも働いたならば、いろいろ難点のあるこの詩もまあ六部通りは成功している」といっている。これらの云い方のなかで小野が目指していたことは明白である。

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