2017年8月10日木曜日

雲も水も

   雲も水も

雲も 水も
木々の芽ぶきも
それをながめるとき
われらのねがいの
なんと異なること
一つとしてつながらぬさまざまなおもい
花ひらく野に出ても
敵は敵


きょうから、第11詩集『異郷』(思潮社刊)に入ります。この詩集が出た1966(昭和41)年は、ベトナム戦争のさ中にあたります。ベトナム戦争は、第2次世界大戦後の冷戦下、インドシナ半島の旧フランス植民地で起きた戦争。親米のベトナム共和国(南ベトナム)の独裁政権打倒をめざして1960年12月、南ベトナム解放民族戦線が結成され、共産主義のベトナム民主共和国(北ベトナム)が支援しました。米軍は65年2月から国境を越えて北ベトナムに大規模な空爆(北爆)を開始。73年1月に米軍の撤退を主内容とするパリ協定が調印され、南ベトナム政府は75年4月に無条件降伏しました。ベトナム人の犠牲者は軍民合わせて120万~170万人という推計もあるそうです。

*この詩集の序詩とみていいだろう。やさしく美しく歌われているこの詩の基本構造はきびしい。『とほうもないねがい』の「もののかたち」において小野はすべての人間を「一つの眼」と「も一つの眼」に峻別して「物象ことごとく割れて二つ」と断言したのだが、この詩においても小野は「敵は敵」と峻別し、不用意に無自覚に手を握りあうことを厳しく拒絶している。自然によって人間の思いが馴らされて同化することなく、かえっていっそう明確に思想があらわにされるダイナミズムが「花ひらく野に出ても/敵は敵」という2行に美しく硬く結晶している。《安》

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