2017年8月4日金曜日

白いにわとり

   白いにわとり

にわとりは
そのとき
だれからも忘れられて
ひとりになつた。
明り窓に板きれが打ちつけられている炭坑長屋の
厨の片すみの暗いところで
まぶたをとじて
にわとりはうずくまつていた。

なにごとが起つたのであろう。
掠奪されたあとのような
人かげのまつたく見えない部落。
凍てついた道に
うつすらと冬陽が射している。
そこにも取りのこされて
いつも二三羽の白いにわとりがいる。
にわとりだけがいるのだ。
大洪水のとき
天地をくつがえすばかりの
ごうごうたる濁流に半ば没してながされていく人家の屋根の上に
どんなはずみにか ひとりかけ上つて
とまつているやつもいる。
おもえば あいつにしたつて
最後の最後まで取りのこされたのだ。

どうしてそんなことが?
人間はどこにもいない。


筑豊や石狩など炭鉱都市周辺には数多くの炭鉱住宅、いわゆる炭住がたくさんありました。ふつうは炭鉱会社が建設して、光熱費を含めて住宅費は無料でした。かつては木造の長屋形式「炭坑長屋」が中心で、卵を産ませるため「にわとり」を飼っている家もたくさんあったと思われます。

戦後には急速にアパート形式の集合住宅も盛んに建てられました。長屋の住宅街として賑わいを見せた炭鉱住宅も、1960年代以降のエネルギー革命による石炭産業の衰退にともなって、取り壊されたり廃屋となっていきました。

それにしても「炭坑長屋」と「にわとり」というのは、映像的にも、それらが秘めている意味合い、存在感からしても、実に絶妙な取り合わせです。

*最後の最後まで取りのこされたもの。にわとり。この白い鮮明なイメージが人間の不在を示しているところにこの作品の結構がある。「どうしてそんなことが?」という問いは「白いにわとり」に向うと同時に、逆方向に、「人間はどこにもいない」という一行に向っている。そこで無人の炭坑長屋という人為的事件の残像が諸々の人為的事件とむきあうことになる。《安》

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